Interview対談 -帯金ゆかりの教育?-
20周年を迎えた演劇プロデュースユニット・ジアス。その成り立ち、結成から、今回「リタの教育」を演目に選んだ理由。そして、かつて実際の高校教師と女子高生だった2人が、何故、再び「先生」と「生徒」を演じることになったのか。本公演ダブル主演となる、帯金ゆかりと砂澤雄一の2人に、たっぷりと語ってもらいました!
―砂澤先生が、演劇・劇団を始めたきっかけは何なんですか?
元々は、私が北海道出身で、札幌で高校演劇をずっとやってて。山梨に出て、大学でまた演劇をやって。その後、教師になったんです。
いや、若い頃はずーっと運動部の顧問をやってて。陸上部とか。若いと任されるんだよ、運動部。
身延高校にいた時、最初ずっと陸上部の顧問をやってたんですけど。三年生の担任になった時、運動部は大変だろうから、ずっと活動してない演劇部に、顧問として名前だけつけといてあげるって言われて。私が学生時代に演劇やってたことも、知らないで言って来たみたいで。
それで、その年、一年目で関東大会まで勝ち上がりました。
すごいです。もう、なんでそんなに頑張っちゃうのってくらい、頑張っちゃって…(笑)
その後、身延(高校)から西高(甲府西高)へ移った後に、身延の子たちが「卒業しても演劇をやりたいな」って言って。じゃあ「やる場所」があった方がいいよねってことで、作った劇団がジアスです。
なるほどー。その劇団が今年でとうとう20周年ってわけですね!
―記念すべき20周年公演の相手役に、帯金ゆかりを選んだのはなぜでしょうか?
うーん、20周年だし、ちゃんとした女優さんにお願いしようと思って。きちんとしたクオリティでこの芝居ができる女優さんが、私にとって帯金さんしかいなかったんです。
帯金さんはね、こう見えて内面が弱くて。普段からすごく演技する人で(笑)その見かけと内面のギャップが魅力的な人だなと。
たとえば、(高校時代に)ハックルベリーやったでしょ?あれでやったお芝居とかは、あなたにとっては、全力でもなんでもなくて。
そう。でもあなたの本質は、(高校時代に)「アフリカのイヴ」でやってもらった、水没するタイタニック号の中のモノローグみたいなものなんじゃないかと。
だから、こういう「リタの教育」のようなストレートプレイは、今やっといて損はないんじゃないかなと。
いやあ、そのとおりですね。わたし、見事にもう逃げてきたんで、こういうのから。
でも、やってみたら、これは必ず君にはためになるんじゃないかな。
―帯金さんにとって、高校生当時、砂澤先生はどんな存在だったんですか?
いや、そういう事を聞かれてるんじゃないでしょう(笑)
うーん、なんかねー、「初めて出会った大人」って感じがしたよね。なんか、大人の、良いんだか悪いんだかわからない部分を初めて見て。
そう。わたしそれまでフタバ(甲斐市立双葉中学校)でバスケとかしかしてなくて、馬鹿みたいな感じだったんだけど。高校生になって、先生に会って、いきなり「俺はお前らを生徒と思ってない」「俺は先生じゃない」とか言われて!
「俺は役者だ!」「お前らも一人の役者としか見ていない」とか言われて。「マジかっ!?」って思って(笑)
演劇をする時は、プロでもアマチュアでも関係なく、たとえば、役者をやってる人がたまたま高校生の年齢だったというだけなわけで。だから「高校生」である前に、演劇をする「人間」であれって、いうようなことを言ったんだと思うんだよね。
なんか、それがすっごい…もう、他の先生とか大人と、言ってることやってること全然違う!異端児なんだろうな、みたいなことをやってて。
だからね、この人は、大人の原点ていうか。わたしが「いつか戦わなきゃいけない相手」ってのは、ずっとあって。
自分も、いつか帯金と芝居するかもってのは思ってた。
うん。「帯金ゆかり」って人とは、何かの結論を出さないと、決着をつけないとってのはあった。
みんなね、卒業して、大学で演劇をやってってのはいいんだけど。その後、演劇を職業にして生業にしてってのは、俺は反対だったのね。
うん。食べられないし。…って思ってたんだけど、あなたに対しては違ったんだよね。
それって何故なのかなって…俺自身が同じ板に乗ったらわかるのかなって、思って。今回呼んだというのもある。
―今回、演目に「リタの教育」を選んだのは何故ですか?
今ってもう、女性が必ず結婚して子供を生まないといけないって時代ではないじゃないですか。
だけどこの戯曲の1970年代イギリスは、女性に対してそういう、古い保守的な考えの社会で。リタって言う女性は「自分」を探したいって言って大学へくる。「自分探し」なんて、今はもう手垢のついた題材だけど、この時代の女性にはすごく新鮮だった。
そのリタが教育を受けることで、必ずしも幸せをつかむわけではないってところが、すごくリアルで良いなと。変なフェミニスト演劇みたいに、安直なハッピーエンドにならない。
今の日本では、女性に対する認識が成熟して、生涯独身でもいいなという人もいるし、子供ができなくてもいい。いろんな立場の人がいてオッケーになってきた。そういう時代だからこそ、過去の物語なんだけども、リタって言う女性の生き方というか、生き様は、やってみる価値があるんじゃないかなと。
―教養の無い「リタ」役を実際の教え子だった帯金さんに、「フランク先生」役を実際に先生だった砂澤先生がやるというのは、面白い試みだと思います。
逆にこの戯曲の中の先生(フランク教授)って、すごくダメな人になっていくじゃないですか。これも、先生とかぶる部分あるんですか?
すごくありますね。年とともに、こうなっていくというか。自分が許せないんですね、たぶん。自分に才能があると思っていたのに、それに向き合って磨いていくこともなく、自堕落になってしまったという。
だから、フランクにはすごく感情移入できたかもしれない。ようするに彼は、大学の先生じゃなくて、詩人になりたかった。詩人として名を残したかった、でもそれが叶わなくて、堕落して馬鹿な学生に講義をしている自分が許せなかった。
先生も「演劇」を職業にしたいとか思ってたんですか?
クリエイティブな職業に付きたいとは思ってましたね、若い頃は。ずっと小説を書いてて、「海燕」っていう雑誌があったんですけど、そこの新人賞の二次選考まで行ったんですよ。
第十回くらいの時かな。発表を楽しみにしてたんですよ。「俺の名前が次は雑誌に大きく載るんだ!」って。で、読んでみたら、なんのことはない、俺の名前はなかったんですよ。その時、賞を取ってたのが吉本ばななって人だったんですね。「キッチン」ていう話で。
それを読んで。俺はもう無理だって思って。教師をやってるうちに、そのうち優れた才能に出会うこともあるんじゃないかって思ってたら…
うーん…(笑)でもね、フランクは別にリタを「教養ある素敵な女性」にしようなんて、思ってたわけじゃなかった、今持ってるその「良さ」を失わないでくれって思ってたんだよ。
この芝居が終わったら、砂澤先生もフランク先生みたいに悲しくなっちゃうんじゃないですか?
いやあ、うーん。ていうか、この先生はたぶん、ほのかにリタの事が好きなんですよね―。
演劇終わったら、帯金さんも東京帰っちゃうわけですしねー。
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